群青日和

日記帳が欲しかったので作りました

音楽

昔よく聞いていた曲があって、その曲を聞くと当時の事をたくさん思い出しすぎて呼吸困難になりそうになる事がよくある。感情に自分が追いつかなくなってしまう、という表現が近いのかもしれない。

久しぶりに昔よく聞いていたキラキラしまくった曲を聞いてみたらキラキラが重すぎた。今のわたしにこんなにキラキラなものを思い出させないでくれ、負けそうだよ。何にって昔の自分と今のわたしのこの気持ちのギャップに。

逆に昔敬遠してた曲が響くようになってしまった。曲が響くようになったからあの病んでた日々も意味があったのかななんて思ってタバコを咥えてふふんって笑ったけどそんな訳ねえだろバーカ、でもクリープハイプが響くような女になってしまったからな、感謝してるぜこのクソ男!(どっちだよ)

あと高校生の時にメロディがかっこいいと思って聞いてた曲の歌詞がとんでもなく共感できてびっくりした。あのバンド絶対売れると思ったのに売れそうなタイミングで解散したよなあ好きだったよ、

「床には君のカーディガン」が共感できる21歳になっちゃいました。「好きだった歌が響かなくなったな 誰のせいでもない 僕のせいでもないんだろう」が聞き流せない女になってしまいました。

最近観た映画について

こんにちは、最近たくさん映画を見たので感想を書きたいと思います。

まず、誰も知らない

この映画、ずっと気になってたのになかなか見れなくてやっと見れた!感想は、わたしの語彙力の乏しさのおかげで全然言葉に出来ないけれど良かったです。

母親が育児放棄しちゃう話だけど、この母親のYOUがとても可愛かった…男が放っておかないんだろうなあって感じの奔放で親目線なんて持てないみんなに気さくな女の子って感じだった。だからこそ、育児放棄しちゃったのかなあ。でもきちんとした男に引っかからない辺りやっぱり少しオツム弱いんだろなあ。YOUだけじゃなくて他の子役もめちゃめちゃ良かった。柳楽優弥の他に次女のゆきちゃん役の子の可愛らしさ、韓英恵の美人で影のある感じがとても素敵だった…この作品で韓英恵の少しファンになれたよ。そして作品の中で次女のゆきちゃん、亡くなってしまうんだけれど、その時に柳楽優弥が薬を盗んでしまうんですよ。でもそのシーンまでに他の悪ガキに一緒に万引きしようぜって頼まれても絶対にやらなかったあの柳楽優弥が盗んじゃう。それくらい切羽詰まってたんだろうなって。きっとわたしがこうして何気なくダラダラ過ごしている間も表沙汰にならないだけで育児放棄されている家庭なんてたくさんあるんだろうなって考えたら胸が張り裂けそうになる。子供も必死で生きようとしてると思うともう切ない。是枝監督特有の繊細な心の動きがすごく良かったです。

聖の青春

この作品、去年公開されたの去年だったのか!去年は邦画が豊作の年だったんだなあ。村山聖さんの激動の人生のお話なんだけど、実はわたし恥ずかしながら将棋のルール何も知らなくて、でもすごく楽しめた作品だった。この映画で知ったんだけど、将棋って自分から最後に負けましたって宣言するんですね、あのルールが凄く印象的だった。みんな真剣に、それこそ命を削って一線を戦い抜いて、最後に負けを認める、なんて残酷なんだ…。村山聖さんの事を知ってから、ああ自分ってほんとに何も頑張っちゃいないんだなあと思ってしまった。村山聖さんからすると他の燻ってる人なんてきっと命かけて戦っていないんだろう。自分には時間が無い、なのに健康な羽生善治との差は縮まったと思えば遠くなる。歯がゆかっただろうなあ…。作中、村山聖さんが手術を受けて実家に戻るシーンがあるのですが、夜中に寝ることもなくずっと将棋を指してて。それを見た母が涙してるシーンが凄く印象的でした。きっと村山聖さんにとってはこうして手術している時間も惜しかったんだろうなあ。羽生さんを越えたいという一心が強いのが伝わった。村山聖羽生善治最後の一戦の緊張感の伝わり具合ったらもう松山ケンイチ最高としか言いようがなかった。思わず映画を見たあとにその戦いをYouTubeで見てしまったくらいに。将棋のルール何も知らないのに真剣に見ていました。

 

二つの作品本当に良かった。あまり自分が感想を書くと安っぽく感じてしまうのでここら辺で…

無駄とは

そんな事して何になるんだってことをわたしはよくしてしまう。しかもめんどくさいことにやる前から「そんなことしたら自分が傷つくだけだって…」というような事を自分はしてしまう。たとえば昔、なぜだか嫌な予感がして当時付き合っていた彼氏の友達の女の子のSNSを開いてみたら、彼氏が他の女の子と手を触り合うスキンシップをしているだけの動画が上がっていて、見る度に傷つくのは分かっているはずなのに何度も何度も夜中に無駄に再生してしまった。もちろん見る度に嫌な気持ちになったし、何度も何度も見ているうちに涙がぽたぽた溢れてきた。やめりゃいいのにそんなこと、と当時も分かっていた。他にも嫌な出来事を毎晩毎晩わざと思い出してはアホみたいに風呂場で泣き崩れたりもした。思い出さないようにする事なんて容易にできたはずなのに何故だか毎晩思い出してはブルーになり、自分を思い詰めては泣いていた。

世間的に自傷癖はリストカット等のわざと体に傷をつけてしまうことを言うと思うけれど、でもわたしはこの嫌なことをわざとして自分を思いつめてしまう、こんな自分の癖も自傷癖だと思う。何でそんなことをしてしまうのか、構って欲しかった?それもあるかもしれない。現にわたしは自分のことがとにかく空っぽな存在に思えているし、他人に甘えると自分の存在を認めてもらったような気がして心が落ち着くことがある。

これはわたしの場合だけど、自分が苦しんでる時に自分の存在がそこにあるような錯覚をしてしまう。結局わたしは空っぽな存在だから、何かで満たさなければ自分がなくなってしまう。その何かがたまたま自分にとってインパクトの大きい悲しいことや辛いことだった、ただそれだけなのかもしれない。

きっとわたしはこの自傷癖は一生直らないと思うし、何ならこれからもっと酷くなる可能性もあると思う。空っぽなわたしの中に辛さを埋めていくそれだけの時間なのかもしれないし、これが自分にとってもしかしたら良いことなのかもしれない。今は気づいていないだけで。

結局自分に自信の無いさみしがりさんなのでこれからの自分を精進しなければならん、という事なのかしら。

0908

帰省、普段京都に住んでる私はいま名古屋にいる。

わたしの父方の祖母の話をしようと思う。わたしの祖母は最近落語家とデートにちょこちょこ行っている。これだけでも充分に何者だよ感を表せるのだが、わたしの祖母は少々クレイジーだ。

祖母は元々頭が良く、とても数学の出来る人だったので数学の教師を目指していたが次第に絵の世界に引き込まれて行き日本画の画家になった。若い頃は割と実績も残していたらしく、いまでは名古屋市内どころかきっと愛知県内の美術館なら無料で入れてしまう。そんな祖母は今絵の世界からは一線を置き、文章を書く人になっている。某有名雑誌や某新聞に不定期連載を持ち、ちょこちょこいい賞も取っているらしい。

祖母を見ていると普通の80歳くらいのお婆さんよりも元気でよく話すなあと思う。頭の回転もとても良く話も面白い、そのくせ口で話して表現しようとすると無駄なことや余計なことばかり言ってしまうので内心ハラハラするところ、散歩と称してとんでもない距離を易々と歩いてしまうところ、などなど書き出したら止まらないほどに。

わたしはそんな祖母が好きなので帰省すると必ず祖母の家に寄っている。わたしが来ると決まって祖母は、お仏壇にはきちんとお参りしなさいよ。と言うのできちんと言うことを聞いてから祖母と世間話をしながらお菓子やフルーツを貰う。お仏壇の奥の方には、必ずおこづかいが隠してあって、それも少し楽しみになっている。

けれどわたしはふと思った。もしかして祖母はおこづかいが無いと家にわたしが来ないと思っているのかな…?そんな事ない、わたしは祖母が好きなので毎回寄りたいと思っているのに。しかし生憎わたしは犬よりも感謝の気持ちを伝えるのが下手糞だ。人に思っていることを伝えるのがとても不器用なのでもしかしたら愛情が自分の想像よりも遥かに伝わっていないのかもしれない。

個人的に文章を書いて伝える方が得意だし、何なら絵でも描いた方が気持ちが伝わることもある。今日もお仏壇に供えてあったおこづかいのポチ袋を見ながら嫌なところも得意なものも遺伝するんだなあとふと思った。

名古屋は京都よりも蒸し暑いです